に自分がここに来たかという使命の程も忘れてしまっていました。やがてそれを考えついた時に、お君は悲しい心持がしました。悲しい心持が慌《あわ》てる心持でせきたてられました。それで、幸内の行方不明になったことを逐一《ちくいち》申し上げて、お頼みをしなければならないと思いました。
お君はようやく、そのことの一切を能登守に物語りました。幸内が伯耆の安綱といわれる刀を持って出て家へ帰らないこと、それがためにお嬢様がいちばん心配していらっしゃること、幸内はこの城内のどなた様かへお目にかけるつもりでその刀を持って出たらしいこと、どうかお嬢様のために殿様のお力添えをお願い申したいということを、お君は嘆願したのであります。
能登守は黙ってそれを聞いて、何か考えているだけで返事をしません。しかし、それだけのお願いを申し上げておけば、お君のここへ来た使命は尽きたわけであります。
お君がお暇乞いをして帰ろうとする時に、能登守は立って一方の机の上から、一つの小さな箱を取って、
「まだ帰らんでもよかろう、お前に見せたいものがある」
その蓋《ふた》を取って、お君の前に置きました。
「まあ、これは、殿様のお姿…
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