るか、それとも一時の策略か、その辺を、もう少し確めてみぬことには……」
 駒井能登守は、こんなことを思いつきました。そうして独言《ひとりごと》のように、
「しかし神尾は小人じゃ、まんいち拙者が故障を言えば、きっと拙者を恨むに違いない、恨まれるのは苦しくないが、何も知らぬ処女《おとめ》が、悪い計略に落ちるようじゃと気の毒の至り」
 こんなことを胸に問い答えている時に、お君が羽織を入れた黒塗りの箱を捧げて来ました。能登守が筒袖の羽織の紐を解くと、お君はその後ろに廻りました。それを黒の紋付の羽織と着替えさせて、お君はその筒袖の羽織を畳みかけました。
 能登守は着替えた羽織の紐を結ぶと、お君は、
「殿様、あの、お髪《ぐし》が乱れておいであそばしまする」
と言いました。
「うむ、それもそうじゃ」
 お君は、筒袖の羽織を畳んでいた手を休めて、鏡台を卓子《テーブル》の上に立てました。その鏡は隅の棚の上に置かれてあった、これは洋式のものではなく、磨き上げた丸い鏡でありました。
 お君はこうして能登守のために乱れた鬢《びん》の毛を撫でつけながら、その鏡にうつる殿様のお面《かお》を見ると、恥かしさで手先が
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