終ってから市五郎は卑下《ひげ》と自慢とをこき交ぜて、自分がこの土地に長くいることだの、折助や人足、それらの間における自分の勢力が大したものであること、御支配をはじめ重役の間にて自分の信用が多大であるということ、そんなことを、それとなく言っているが、お松には聞き苦しいほどであるのに、お絹は上機嫌で、
「お松や、お政治向きのことは別にして、そのほかのことならこの人が何でも心得ているから、お前、何か頼みたいことがあるなら、遠慮なくこの人に片肌脱いでおもらい」
とまで言いました。
お松が自分の部屋へ帰った後も市五郎は、お絹の許を辞して帰る模様がありませんでした。しばらくたつと、その座敷が陽気になって、盃のやりとりにまで進んでいったようであります。根岸へ引籠った時分には一層慕わしく思われたお師匠様が甲府へ来ると、またがらりと変ったように思われるのがお松には浅ましい。誰とでも容易《たやす》く懇意になってしまって、ああして気を許すお師匠様の挙動がお松には歎かわしい。
六
甲府の牢屋は甲府城の東に方《あた》ってお濠と境町の通りを隔てて相対し、三方はお組屋敷で囲まれている。その
前へ
次へ
全190ページ中59ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング