なく、一枚の絵図面を仕立てた横幅《よこふく》でありました。
 神尾主膳の家に慶《めで》たいことがあるといっても、それはお松が知ったことではありません。
 けれども、このたびの慶事の噂が、お松の耳にはあまりに突飛《とっぴ》に聞えたものですから、多少考えさせられないわけにはゆきませんでした。
 今まで放蕩無頼に身を持ち崩して、いったん持った奥方を去ったという主膳が、今になって女房を迎えようとする心持がお松にはわかりませんでした。それから、この殿様を夫に持とうという女はどういう人であろうか、その人の気も知れないように思いました。
 慶《めで》たいことだから祝わねばならぬけれども、お松の常識で考えては、この結婚がどうも末頼《すえたの》もしくは思われません。どうしても一時の権略のための結婚であるとしか思われないのであります。
 どうしても、お気の毒なのは、こちらへ貰われて来る嫁御寮《よめごりょう》だと思わないわけにはゆきません。
 このお屋敷の殿様が、どういうお方であるかまるきり知らずに、ただお殿様という名前に惚《ほ》れて、可愛い娘を手放す親御たちをもお気の毒と思わないわけにはゆきません。
 人
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