その油壺を抛り出してさえ、なお追い求めようとするものがあったと見なければならぬ。ほかでもない、米友は今ここで計《はか》らずもお君の姿を認めたからであります。
 米友がその不自由な足を引きずってわざわざ甲州まで来たのは、一《いつ》にお君を求めんがためでありました。米友にとってお君は唯一《ゆいつ》の幼《おさ》な馴染《なじみ》であり、お君にとっても米友は唯一の幼な馴染でありました。米友は、今しばらく旅費に窮したから八幡宮に雇われましたけれど、いくらか給金が貯《たま》ればそれを持って、お君を探しに行くつもりなのであります。
 それだから、いま認めたそれがお君であったとすれば、もう油壺などは問題にならないはずであります。
 息を切って米友が馳せつけたのは、例の役割市五郎の宅の裏手。
「こんにちは」
 米友は、せいせい言って、そこに庭を掃いていた折助に挨拶しました。
「何だ」
 折助は米友を見て怪訝《けげん》な面《かお》をしました。
「少しお聞き申してえことがあるんだ」
 米友は唾《つば》を飲んで咽喉を湿《うる》おしました。
「何だ何だ」
 折助は米友が、あんまり一生懸命に見えるから笑止《しょうし
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