とてなにほどのことかあらん、この場合においては機先を制して彼を打ち倒すよりほかはないと覚悟をしました。それで南条の後ろから、ひそかに鉄の棒を取り直して、
「や!」
と言って能登守めがけて打ってかかろうとすると、
「まあ待て」
 南条はあわててそれを抑えました。
 その時に能登守は銃を本式に構えて、いま飛びかかろうとする五十嵐の肩のあたりに覘《ねら》いを定めながら、
「一寸も動くことはならぬ、何者であるか、そこで名乗れ」
 この時、南条は急に言葉を改めて、
「お察しの通り、我々は余儀なく甲府の牢を破って、追い詰められ、心ならずも御当家へ忍び入り申したる者、貴殿は当家の御主人でござるか」
「いかにも拙者が当家の主人」
「当家の御主人ならば、もしや……駒井甚三郎殿ではござらぬか」
「ナニ?」
「駒井甚三郎殿ならば、御意《ぎょい》得たいことがござる、よく拙者が面《おもて》を御覧下されたい」
と言って、南条は蝋燭《ろうそく》で自分の面《かお》を焼くばかりにして、じっと能登守に振向けていました。
「おお、御身は亘理《わたり》」
 能登守は篤《とく》と南条の面を見つめた後に、言葉がはずみました。それ
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