た。
 能登守はそれと知って苦笑いし、いまさらにその室内の隅々までよく覗いて見ましたけれども、そのほかには人らしい影は見えません。つまりこの室内にあるのは、前から傍若無人に話していた二人と、別に寝かされている一人と、都合三人だけであることを確めました。
「それはそうと、南条、これから我々はどうするのじゃ」
と五十嵐は、火にあたりながら蘭書を見ている南条の横顔を覗きました。
「そうさなあ」
と南条は本を伏せて五十嵐と顔を見合せました。
 南条と五十嵐とは椅子に腰をかけたまま、火鉢の火にあたって膝を突き合せて話をはじめました。
 その話というのは、これからの身の振り方であります。
 彼等はその挙動の傍若無人である如く、言語もまた傍若無人でありました。それは高談笑語でこそなけれ、ややはなれた能登守の立聞くところまで、尋常に聞える話しぶりでありました。
「実は、おれも弱っているのだ」
と言って、本を伏せた南条が弱音を吐きました。けれども格別弱ったような顔色ではありません。
「あの贋金使《にせがねづか》いが万事を取りしきって、山へ逃げさえすれば、衣裳も着物も用意がしてある、食糧も充分で、直ぐに信
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