平常《ふだん》用ゆる大火鉢へ眼をうつしました。
「うむ」
 南条の方は、まだ蘭書から眼をはなしません。五十嵐は立って火鉢のところへ来ました。そこにあったたきつけと炭とを利用して、
「ちょっと、燈火《あかり》を借りるぜ」
 卓子《テーブル》の上の裸蝋燭《はだかろうそく》を取って火を焚きつけて、また元のところへ立てて置きました。
 まもなく焚付の火が勢いよく燃え上ると、炭火もそれにつれて熾《おこ》りはじめました。五十嵐はその火を盛んにするようにつとめていましたが、南条は足を踏み延ばして火鉢の縁へかけ、片手を翳《かざ》したままでその蘭書をながめていました。
「面白いか」
 五十嵐がまた尋ねました。
「別に面白いというべきものではない、ただ鉄を鎔《と》かす方法が書いてあるのだ。イギリスの鎔坩《るつぼ》は鋼鉄を鎔かすことができるとか、イプセルとはどうだとかいうことが書いてあるのだ」
「さあ、いい塩梅《あんばい》に火が熾った、宇津木にもあたらせてやれ」
 一方を顧みると、そこに何人《なんぴと》かが寝かされていて、その上には、能登守がここで日頃用ゆる筒袖《つつそで》の羽織が覆いかけてあるのでありまし
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