で、今や寝入ろうとした能登守の耳を驚かしたものとすれば、ムク犬はまたしてもどこへか夜歩きをはじめて、この邸にはいなくなったものと見なければなりません。
 能登守がなおも屋根の上の物音に耳を傾けている時に、今度は屋敷の外まわりでバタバタと駈ける人の足音が聞えました。その足音は一人や二人の足音ではなく、両方から来て走《は》せ違うような足音でありました。
「や、これはこれは、御同役、お役目御苦労に存ずる」
という出会いがしらの挨拶が聞えました。
「なんにしても深い靄《もや》でござるな、鼻を摘《つま》まれても知れぬと言うけれど、これは鉢合せをするまでそれとは気がつかぬ、始末に悪い晩でござるわい。それはそうとこのお屋敷は、これは御支配の駒井能登守殿のお屋敷ではござらぬか」
「いかさま、これは能登守殿のお屋敷じゃ。実は我々共、たった今ここまで怪しいものを追い込んで参ったのでござるが、この辺でその跡が消えたのでござる」
「それはそれは。実は我々共も、お花畑の外よりどうやら怪しげな人の足音を追いかけて、ここまで来てみるとその足音が消え申した」
 塀の外におけるこれらの問答が、いま、屋根の上の物音だけで
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