信用しなければならなかったのであります。
 けれども、この木戸は、すんなりとあけられない理由も充分にあります。今宵のような物騒な晩であることと、主人の居間近くであるということと、女一人の部屋であるということと、それらの用心は、お君としては或る場合には身を以ても守らねばならないのでありました。それ故お君は当惑しました。
 しかし、ムク犬は主人の当惑に同情する模様がなくて、その縁に引いた打掛の裾をくわえてグイグイと引きました。その挙動は、主人をして退引《のっぴき》させぬ手詰《てづめ》の催促《さいそく》に見えます。ここに至るとお君はどうしても、すべての危険を忘れてムク犬を信用せねばならなくなりました。よしこの木戸をあける瞬間において、いかなる危険が予想されようとも、ムク犬の勇敢はそれを防いで余りあることを信ぜずにはいられません。
「待っておいで、いま燈火《あかり》を点《つ》けるから」
 お君は、やがて雪洞《ぼんぼり》に火を入れて庭下駄を穿《は》きました。打掛の裾をかかげて庭に下り立って、ムクを先に立ててほど離れた木戸口の錠前を外《はず》すべく、静かに靄の中の闇を歩いて行きました。
 ムク犬を
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