た障子を押し開きました。それと共にこの時までまだ戸を締めておかなかった不用心を、お君は気がついて悔ゆるような心になりました。
 邸の外は庭の中までもいっぱいに例の闇と靄《もや》とで、その中にいる真黒な犬の形は、とてもこちらからは見ることができませんけれども、その鼻息で充分にわかります。
「帰って来たらいいから、もうお寝、これからこんな晩には外出《そとで》をしてはなりませんよ」
 お君はムク犬に寝よとの許しを与えました。それはいつもムク犬がするように、今夜は少し晩《おそ》くなったけれども、やはりその例で挨拶に来たものとばかり思ったからであります。
 けれどもまたムク犬は、今夜に限ってその許しを柔順に受けないで、縁先へ首をつきだして物を訴えるような素振《そぶり》であります。
「どうしたの」
 ムク犬はその巨大な面《かお》と優しい目で、お君の面を見上げたのは、自分はよんどころない用事が出来て外出致しました、こんなことは滅多にありませんから、今晩のところはどうぞ悪しからず御免下さいまし、と申しわけをするように見えました。そうしておいて自分の首をグルリと半分ばかり外の方へ廻して、また主人の面を見
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