んのすけ》がある。その中で育った女、氏《うじ》と生れとには不足がないけれど……」
お君は能登守の奥方の門地《もんち》というものを、初めて能登守の口から聞きました。
その晩、おそく自分の部屋へ戻ったお君は、しばらく鏡台の前へ立ったままでおりました。その身には大名の奥方の着るような打掛《うちかけ》を着て、裾を長く引いておりました。その打掛は、縮緬《ちりめん》に桐に唐草《からくさ》の繍《ぬい》のある見事なものでありました。鏡台の前を少し離れて立って、自分の姿に見惚《みと》れているお君の眼には、先の涙が乾いてその代りに、淋しい笑《え》みが漂うていました。淋しい笑みの間には、堪《こら》え難い誇りが芽を出しているようにも見えました。
ことに鏡の前に立てかけてあった写真の面《かお》と、自分の打掛姿を見比べた時に、お君の面には物に驕《おご》るような冷たい気位を見せていました。
「奥方様はどんなに御身分の高いお方でもわたしは知らない、わたしはまたどんなに賤《いや》しい身分のものであっても、今となっては知らない。お殿様がわたし一人をほんとうに可愛がって下さるから、わたしはお殿様お一人を大切にする。わ
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