伏したまま、返事をしないのでありました。先にも返事をしなかったし、今も返事をしないのであります。主人が入って来た時も面を上げてそれを迎えることをさえしないで、かえってその打伏した袖の下から歔欷《すすりなき》の声が、ややもすれば高くなるのでありました。
「お前は、また泣いているな」
と言って能登守は眉をひそめて、お君の姿を可憐《いじ》らしげに見下ろしたまま立っているばかりであります。
「お殿様」
お君は泣きじゃくりながら、やはり泣き伏したままこう言いました。
「どうぞ、あちらへいらしって下さいまし、ここへおいでになってはいけませぬ」
精一杯にこう言って、あとは喚《わっ》と泣き出すのを堪《こら》えるために、ワナワナと肩が揺れるのが見えます。
「わしが呼んでもお前が来ないから、それでお前のところまで来た」
と能登守は言いわけのように言って、立去ろうともしません。
「御前様《ごぜんさま》」
お君は歔欷《すすりなき》の声で再び主人を呼びました。そうしてこころもちあちらを向いて、
「わたくしはお暇をいただきとうござりまする」
「暇をくれい?」
能登守は、さすがにお君の突然の言いぶりに驚かさ
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