「ばかにしてやがら」
「ワン!」
「こん畜生」
「ワン!」
「まだ逃げやがらねえ」
「ワン!」
「殴《なぐ》るぞ、こん畜生」
「ワン!」
「それ!」
「ワン!」
さすがの米友も呆気《あっけ》に取られてしまいましたのです。今まで必死になって相手にしていたのは、こんな犬ではないはずであります。相手が犬であるくらいであったならば、米友は惜気《おしげ》もなく十二神将や二十八部衆の形をして見せたり、また縁台がさかさになったような形をして、半時間も大道に寝ている必要はなかったのであります。
五里霧中とは言いながら、その中にはまさに米友をして怖れしむべき敵があったればこそ、彼はさんざんの苦心をして、一人相撲や一人芝居を打って見せていたものを、その大詰に至って犬が一匹出て来て、舐《な》めてかかろうとは、いかな米友といえども力抜けがして、呆然《ぼうぜん》として起き上ったのも無理のないところでありました。
「こん畜生!」
米友は業腹《ごうはら》になって、犬をこっぴどく打ち据えようとしました。しかし、この犬がまた追っても嚇《おど》しても容易に逃げないで、いよいよ米友の近くに飛びついて縋《すが》りついて
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