やや暫くその形で、すなわち倒れたままで槍を構えた形でじっと身動きをしません。米友がこんな形をしてじっとしているのはかなり長い時間でありました。しかしながら事はそれだけで、それ以上の破綻《はたん》を示しませんでした。すべてこれは米友の一人芝居であります。五里霧中の中で米友は、始終こうして一人芝居を打っていました。しかしながら米友は、まだまだこの構えから起き上ることはできません。四方転《しほうころ》びの腰掛をひっくり返したような形をしたままで、いつまでも大道の真中に寝ているのは、他《よそ》から見ればかなりおかしい形でないことはないけれど、米友自身になってみれば、油汗を流しているのです。今の時間で言えば、ほとんど三十分ばかり、米友はこうして油汗を流して唸《うな》って槍を構えていました。そうしていた時分に米友は、
「エイ」
と言ってその槍を、やっぱり寝ながらにして横に一振り振ると、今度はたしかに手答えがありました。
「ワン!」
 米友の横に振った棒を飛び退いてまた飛びついて、ワン! といったのは人間ではない、かなり大きな形をしている犬の声でしたから、米友は勃然《むっく》としてはねおきました。

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