らぬ生死の覚悟が、眼にも面《かお》にも筋肉にも充ち満ちているのだが、相手が例の如法闇夜の中にあるから、離れて見れば一人相撲を取っているとしか見られません。ややあって、米友はものの五間ほど一散に飛び退《しざ》りました。
飛び退って、槍を下段に構え直して、ヤ、ヤヤ、と言って、口から咄々《とつとつ》と火を吐くような息を吐いて、もう一寸も進みませんでした。
平常《ふだん》における米友は跛足《びっこ》でありますけれども、槍を持たした米友は少しも跛足ではありません。
猿のような眼をクリクリとさせて、槍を下段へ取ったままの米友は、油汗をジリジリと流していました。
これもまた平常における米友ならば、ここで得意の米友流の警句と啖呵《たんか》とが口を突いて、相手を罵《ののし》るはずであったが、この時は、エとか、ヤとか言うほかには言句の余裕がないようであります。
それよりも大事なことは、その棒の頭へ槍の穂をすげる隙がないことであります。いつも懐中へ忍ばせて、必要ある場合には取ってすげる、自分一流の工夫の槍の穂を頭へつける余裕すらないのでありました。多くの場合において米友は、その槍の穂をすげる必要を
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