て、なおよく格子の間から覗いて見て、
「おや?」
と言って仰天しました。
 この時分、牢屋の外も、同じように墨と胡粉《ごふん》で塗りつぶした夜の色で包まれていました。
「破牢《はろう》、破牢、牢破り!」
 この声が牢屋の中のすみから起ると共に、牢の内外の泰平は一時に破れてしまいました。
「スワ!」
という騒ぎ。高張《たかはり》がつき提灯がつき、用意の物の具が、物すさまじい音をして牢屋同心の人々の手から手に握られました。
 けれども靄《もや》が深いから、高張も提灯もその光が遠く及ばないのであります。人々の騒ぐのも、ただ電燈の消えた湯屋の流し場の中で騒ぐのと同じことで、おたがいの姿を見て取ることができません。況《いわ》んや破牢の者共は、どの道をどの方向に逃げたのか、サッパリその見当もつきません。
「出合え、出合え」
という声が北の方の外まわりの高塀の下で聞えましたから、同勢はその声をしるべに、同じ方向へ駈けて行きました。
「待て!」
と言う声が聞えました。
「うーん」
とうなる声と共に、ドサリと人の倒れる音がしました。
「どこだ、どっちへ逃げた」
 同勢はその唸《うな》る声と、人の倒れる音
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