ました。
 この成金で、そうして天下泰平であった甲府の牢番も、勤めに在る以上、やはり相当の責《せめ》を尽さねばなりません。
「はははは、二番の贋金使いの弥兵衛たらいう奴は、さすがに贋金でも使ってみようというだけあって話せる奴だわい、お寒いに御苦労さまでございますなんかと言って、袂の裾をふんわりと重くさせる奴さ。それに比べると武士上《さむれえあが》りは、いやに見識が高くって薬の利き目が薄いのは癪《しゃく》だが、それにしても御方便に、おれの持場はみんな客種が上等で仕合せだ」
 提灯《ちょうちん》を持って、眠い眼をこすりながら立ち上り、
「いるかな」
 御定例《ごじょうれい》に提灯をかざして、一番の牢の内を覗《のぞ》いて見ました。
 返事がしないのは、よく寝ている証拠でありましょう。牢番は頷《うなず》いて第二番室の前、
「いるかな」
 また御定例に提灯をかざし、格子の中を覗いて見ましたが、ここでもやっぱり返事がありません。
 天下もあまり泰平過ぎると気味が悪くなるものです。いつも一人や二人返事をするはずのが、一番二番を通して一人も返事をする者がありませんから、牢番もあまりの泰平に拍子抜けがし
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