御金蔵破りの嫌疑があって、牢から出られない。聞くところによれば、江戸で島田虎之助という先生の門人で直心陰《じきしんかげ》を学び、それから宝蔵院の槍の極意に達し、突《つき》にかけては甲府城の内外はおろか、お膝元へ出ても前に立つ者は少なかろうとのこと」
「それほどの人が、御金蔵破り? そりゃ冤罪《えんざい》であろう、我々の力でどうかしてその冤罪を晴らしてやる工夫はないものかな」
 彼等は靄の中を歩いているのだか、立ち止まっているのだか、わからないほどであります。
 徽典館《きてんかん》の少年たちの一組は、こんなことを話し合いながら靄の中を歩いて行きました。
 闇がいよいよ黒くなるところへ、靄がいよいよ濃くなってゆくのでありました。靄というけれども、やはり霧といった方がよいかも知れません。或いは雲という方が当っているかも知れません。天地が墨の中へ胡粉《ごふん》を交ぜて塗りつぶしてゆかれるようです。
 彼等の一組が御代官陣屋の方を指して行くと、
「あ、赤児の泣く声が聞えるではないか、諸君」
と言うものがありました。
「なるほど」
と言って耳を傾けました。なるほど、赤児の泣く声がするのであります
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