したものと見えます。
 それらを最初にして、いろいろの説が出ました。御岳《みたけ》の奥、金峰山がよかろうというものもありました。或いは天目山を推薦するものもありました。少し飛び離れて駒ケ岳を指定するものもありました。
 その山々の名が呼ばれるに従って、いちいちその山の地勢だの、その山から起った伝説だの、そんなことが青少年の口から口へ泡を飛ばして語り合われるから、なかなか山の相場がきまりません。
 そのうちに、流鏑馬《やぶさめ》をやろうじゃないかという説も出ました。この説がかなり有力な説になっていきそうでありました。八幡宮で行われる流鏑馬が久しく廃《すた》れているから、それを起そうじゃないかという説は、これらの子弟の説としては根拠もあり理由もある説なのであります。
 また一方においては、我々でお能の催しでもしようではないかという温雅な説も出て来ました。それは大した勢力はなかったけれど一部のうちには、なかなか熱心な面付《かおつき》をしている者がないではありません。
 議論百出で、容易になんらの決定を見ませんでしたけれども、大体において、近いうち徽典館《きてんかん》の青少年らしい催しをして、
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