勇ましく語り合われるものでありました。
今、ここで話題になっていることを聞いても、それがこのごろの天下の形勢や、市井《しせい》の辻斬の問題とは触れておりません。
彼等の間の話題は、近いうちおたがいに結束して山登りをしようということの相談でありました。その山登りをすべき山は、どこにきめたらよかろうかということにまで相談が進んでいたのであります。甲斐《かい》の国のことですから、山に不足はありません。多過ぎる山のうちのそのどれを択《えら》んでよいかという評議であります。
「富士山に限る」
と言って大手を拡げたのがありました。それと同時に、富士山は甲斐のものである、それは古《いにし》えの記録を見てもよくわかることである、しかるに中世以来、駿河の富士、駿河の富士と言って、富士を駿河に取られてしまったことは心外千万である、甲斐の者は奮ってその名前を取戻さねばならぬ、なんどと主張しているものもありました。
けれどもこの説は、事柄が壮快であるにかかわらず、事実において問題が残ってありました。
「しからば天子ケ岳へ登ろう」
と主張する者もありました。名前が貴いからそれで、若い人はそんなことを言い出
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