ますよ、それで私との仲も好かったんでございますよ、それが急に見えなくなってしまったものでございますから、私も心配なのでございますよ、それに坊やがこうやって泣くものでございますからね、どうかしてモウ一ぺん帰って貰いたいと思うんでございますよ」
ついに竜之助の傍まで来て、その袂《たもと》を持ってグイグイと引きました。
「わしは知らない」
「左様でございますか、なんでも人の話では、良円寺前で斬られたということでございますが、そんなことがあるものでございますか、ねえ、旦那、そりゃ嘘でございますねえ」
続けざまに袂をグイグイと引いてこう言いかけられた時に、竜之助は身ぶるいして、見えない眼でその男の面《かお》を見下ろしました。
甲府に徽典館《きてんかん》というものがありました。これは士分以上の者、または農商のうちでも相当の身分の者の子弟が学問をするところであります。その晩のこと、この徽典館へ多くの子弟が集まりました。多くは前髪立ちのものばかりであります。
この集まりは別段、今ごろ騒がしい辻斬問題と交渉があるわけではありません。ただ時々こうして集まって、青少年の気焔と談話とが賑わしく、また
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