をやり過ごすと竜之助は、また静かに櫓の下から出て来ました。
濠《ほり》を渡ると境町の通りであります。甲府の城を右に、例の牢屋を左に、その中の淋しい通りです。そこをズッと市中の繁華な方へ歩んで来るうちにも、竜之助の勘《かん》が驚くべきほどに発達していることがわかります。一町二町先から人の足音を聞き取って、高塀や木蔭に身を忍ばすことの巧妙なのは、さながら忍びの術の精妙から出でたものかとも思われます。
通り過ぐる人を物蔭から測量して、斬って捨つべきか否かを吟味して後、やり過ごして物蔭から身を現わす時は、幽霊が出て来るようであります。
三の廓《くるわ》まで出たけれども竜之助はまだ、しかるべき相手を見出さないようであります。三の廓の留まりを直角に廻って、竜之助は東に向きを変えて歩みました。東に向きを変えるとお城が背になって、牢屋が左になって、行手には長禅寺山が聳《そび》えているのであります。
「ゲープ、寒いなア」
「滅法界《めっぽうかい》寒い」
折助が五人ばかりかたまって来ました。
「芋で一杯飲んで来たが、ここへ来るといやに寒くなりやがった」
「それ、辻斬!」
「やい、嚇《おどか》すない
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