す。
 その若い亭主は、どこを目当ともなく歩いていましたけれど、時々休んではゲラゲラと笑います。そうすると背中にいる子供は、それを喜んで、またキャッキャッと笑い興じているのであります。
 それらのことを知るや知らずや机竜之助は、ちょうどそれから三晩目の夜中に、そっと躑躅《つつじ》ケ崎《さき》の古屋敷を抜け出しました。
 頭巾《ずきん》を被《かぶ》り、羽織を着、刀を差して、竹の杖をつくこと例の通りにして、いつのまにか愛宕町《あたごちょう》の東裏へその姿を見せましたが、そこへ来ると境町の方からズシズシと数多《あまた》の人の足音が聞えました時に、竜之助は、時の鐘の櫓《やぐら》の下へ蜘蛛《くも》のように身を張りつけて、その足音をやり過ごしました。
「こんなところが剣呑《けんのん》じゃ」
と言って過ぎ行く一隊の中で、六尺棒を突き立てて暫らく時の鐘の櫓の下に立っている者もありました。
「斬る方では、こんなところが究竟《くっきょう》だけれど、わざわざこんなところへ斬られに来る奴はあるまい」
 そんなことを言って行き過ぎてしまいました。これは辻斬を警戒するために組織された一隊の足軽たちと見えます。これ
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