、お女中がお一人では途中が案じられますから、こうしてお送り申し上げようと言うんでございます」
折助はこう言いました。
「わたしは、ほかに連れの者がある、それを待っているの故、お前方のお世話は要《い》らぬ」
お銀様は、やはり叱るような言いぶりであります。折助どもは、お銀様が何か言い出すのを待っていたと言わぬばかりでしたから、
「そんなことをおっしゃらなくたっていいじゃあございませんか」
「無礼なことをすると許しませぬ」
お銀様は懐中へ手を入れました。その時に一人の折助が、横の方からお銀様の被っていた頭巾を引張りました。眼ばかり見えていたお銀様の面《かお》の口もとから額へかけて、斜めにその呪われた怖ろしい面が見えました。
「はははは」
と折助どもは声高く笑いました。歯をキリキリと噛み鳴らしたお銀様は、キラリ光るものを手に持っていました。
「やあ、危ねえ、刃物を持っている」
前後から五六人の折助が寄ってたかって、お銀様の持っていた懐剣を奪い取ろうとして、怪我をしたものもありました。
「面倒くさいから引担《ひっかつ》いでしまえ」
彼等は寄ってたかって無礼な振舞に及ぼうとする時に、妙詮寺《みょうせんじ》の角から突然《いきなり》飛び出して来た強そうな男。
「この野郎ども、飛んでもねえことをしやがる」
折助どもをポカポカと殴り飛ばして、その一人を濠の中へ蹴込みました。
「やあ、役割!」
と言って、折助はたあいもなく逃げてしまいました。この場へ来合せた強そうな男は、役割の市五郎であります。
「お嬢様、もう御安心なさいまし、ほんとにあいつらあ、悪い奴だ、お嬢様とも知らずに碌《ろく》でもねえことをしやがる」
市五郎がこんなことを言って慰めているところは市五郎の宅であります。
「市五郎どのとやら、お前が来てくれなければ、わたしはドノような目に会ったことやら。よいところへお前が来てくれたから、それで悪者がみんな逃げてしまいました」
お銀様は泣いていました。
「ナニ、たかの知れた折助どもでございますが、打捨《うっちゃ》っておくと癖になりますから、少々大人げねえと思いましたけれど、二つ三つ食《くら》わしてやりました。御心配なさいますな、これからお屋敷まで送らせて差上げますから」
「市五郎どのとやら、わたしには連れの者があってそれを待っていたところ、その連れの者に沙汰をして貰いたい」
「左様でございますか、そのお連れの方とおっしゃるのはどちらへおいでになりました」
「御城内まで参りました、もう帰って来て、あのお濠《ほり》の傍で、わたしを探していることと思います、早う、そこへ人をやって、わたしがここにいることを知らせて下さい」
「へえ、よろしうございますとも。そうしてそのお連れの方のお名前は何とおっしゃいますな」
「それは君といって、年もわたしと同じ位、わたしと同じこのような衣裳を着ておりますわいな」
「なるほど、お君さんとおっしゃるのでございますな、へえ、よろしうございます、今、人をやってお迎え申して差上げますから、御安心なさいまし」
「この甲府にも、わたしの親戚はあるけれど、誰にも言わないように頼みます、わたしが悪い者に出会って、あんな狼藉《ろうぜき》をしかけられたと、それを世間に知られては外聞になるから、内密《ないしょ》に頼みます」
「へえ、もうその辺は心得たものでござりまする、人様の外聞になるようなことを、頼まれたって触れて歩くような、そんな吝《けち》な野郎でもございませんから御心配なさいますな。まあ、なんにしてもお怪我がなくてようございました」
「あの、早く連れの者に沙汰をして」
「へえ、よろしうございます、いま使に出した野郎が、もう帰って来ますから、帰って来たらすぐに飛ばせてやりますでございます、お乗物なんぞは、ここで一声|怒鳴《どな》れば御用が足りるんです。嬶《かかあ》でもいるとお髪《ぐし》やお召物のお世話をして上げるんでございますけれども、まあそのうちに嬶も帰って参りますから」
「髪や着物などはかまいませぬ、あのお君が帰って来さえすれば、直ぐにお暇《いとま》をして屋敷へ帰りたい、早くあの子へ沙汰をして」
「へえへえ。どうも困ったな、いつも二人や三人はゴロゴロしているくせに、今日に限って嬶までが出払ってしまうなんて。と言って俺が出向いて行けば家は空《から》になるし……野郎どもも大概《てえげえ》察しがありそうなものだ、ぐずぐずしていると日が暮れちまうじゃねえか、日が暮れちまった日にゃあ、お嬢様をここへお泊め申さなけりゃならなくなるんだ。そんなことにでもなってみろ、お屋敷でどんなに心配なさるか知れたもんじゃねえ」
市五郎は焦《じ》れ気味で独言《ひとりごと》を言っているに拘《かか》わらず、自分は長火鉢の前へ御輿《みこし》を据えて、
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