の酒乱になってしまったようであります。
「癪《しゃく》に触って腹が立ってたまらぬ故、これからそちを駒井能登めに見立てて、この腹が納まるほど、弄《なぶ》って弄って、弄りのめしてやるからそう思え」
 神尾主膳はブルブルと身を慄《ふる》わして、突然、幸内の襟髪を取って引き立て、
「やい、駒井能登守、この神尾主膳をなんとするのじゃ、主膳をなんと心得て、どうしてみようというのじゃ、えい、小癪な」
 力を極めて前へ突き倒しました。突き倒されて幸内が突んのめるのを直ぐにまた引き起して、
「痩《や》せこけた駒井能登守、口の利けない駒井能登守、突き倒されて直ぐに突んのめる駒井能登守、この神尾主膳をなんとするのじゃ、えい、腹が立ってたまらぬ、見るも胸が悪くなるわ、やい」
 それをまた、力を極めて横へ突き転がしました。突き転がしておいて直ぐにまた引き起し、
「前へ突き倒せば前へ倒れる駒井能登守、横へ転がせば横に転がる駒井能登守、さあ、この次はどうしてくれよう、水を食《くら》わせてくれようか、火を浴びせてくれようか、どうすればこの腹が癒《い》えることじゃ、やい」
 こんなことをしているうちに、神尾主膳の酒乱がだんだん嵩《こう》じてきました。残忍性が増長してきました。
 幸内の襟髪をもってズンズンとこの座敷を引きずり出しました。
 座敷を引きずり出して戸をあけると縁側であります。その縁側から裏庭へ、主膳は幸内を引き下ろしました。自分は足袋跣足《たびはだし》で、庭へ飛び下りていました。
 今度は土の上を引いて引いて、古井戸の傍まで引張って来ました。
 おそらく酒乱が、こんなふうに嵩じると、もはや自分で自分の為すことを知らないのでありましょう。野獣のような残忍性が、加速度を以て加わって来るものとしか思われません。
 古井戸の流しへ幸内を引摺って来て、そこへ突き放すと、神尾主膳は車井戸の綱へ手をかけてキリキリと水を汲み上げました。
「汝《おの》れが、汝れが」
 主膳は汲み上げた水をザブリと幸内の上から浴びせました。
 手を縛られ、足を縛られた幸内は、水を浴びせられて二尺ばかりも飛び上りました。飛び上ってまた倒れました。
 神尾主膳は、心持よかりそうに高笑いして、また二杯目の水を汲みにかかりました。
「はははは」
 二杯目の水を汲み上げて、またザブリと幸内の面《かお》のあたりから浴びせました。幸内は
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