ますよ、それで私との仲も好かったんでございますよ、それが急に見えなくなってしまったものでございますから、私も心配なのでございますよ、それに坊やがこうやって泣くものでございますからね、どうかしてモウ一ぺん帰って貰いたいと思うんでございますよ」
ついに竜之助の傍まで来て、その袂《たもと》を持ってグイグイと引きました。
「わしは知らない」
「左様でございますか、なんでも人の話では、良円寺前で斬られたということでございますが、そんなことがあるものでございますか、ねえ、旦那、そりゃ嘘でございますねえ」
続けざまに袂をグイグイと引いてこう言いかけられた時に、竜之助は身ぶるいして、見えない眼でその男の面《かお》を見下ろしました。
甲府に徽典館《きてんかん》というものがありました。これは士分以上の者、または農商のうちでも相当の身分の者の子弟が学問をするところであります。その晩のこと、この徽典館へ多くの子弟が集まりました。多くは前髪立ちのものばかりであります。
この集まりは別段、今ごろ騒がしい辻斬問題と交渉があるわけではありません。ただ時々こうして集まって、青少年の気焔と談話とが賑わしく、また勇ましく語り合われるものでありました。
今、ここで話題になっていることを聞いても、それがこのごろの天下の形勢や、市井《しせい》の辻斬の問題とは触れておりません。
彼等の間の話題は、近いうちおたがいに結束して山登りをしようということの相談でありました。その山登りをすべき山は、どこにきめたらよかろうかということにまで相談が進んでいたのであります。甲斐《かい》の国のことですから、山に不足はありません。多過ぎる山のうちのそのどれを択《えら》んでよいかという評議であります。
「富士山に限る」
と言って大手を拡げたのがありました。それと同時に、富士山は甲斐のものである、それは古《いにし》えの記録を見てもよくわかることである、しかるに中世以来、駿河の富士、駿河の富士と言って、富士を駿河に取られてしまったことは心外千万である、甲斐の者は奮ってその名前を取戻さねばならぬ、なんどと主張しているものもありました。
けれどもこの説は、事柄が壮快であるにかかわらず、事実において問題が残ってありました。
「しからば天子ケ岳へ登ろう」
と主張する者もありました。名前が貴いからそれで、若い人はそんなことを言い出
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