お銀様は先に立って、
「お城を見て行こう、お城の方へ廻って見物して帰ることにしようわいな、早く」
「お嬢様、今日はこれだけでお帰りなさいませ」
「いいえ、お城を見て行きましょう」
「お城の方へおいであそばすと暇がかかって、お家で御心配になりますから」
「そんなことはかまわない、お城の方へ廻ってみたい、お前いやなら一人でお帰り」
「それではお伴《とも》を致しましょう」
 お君はやむことを得ずして、賑かな方へとお銀様に引かれて行くのでありました。その間にお君は紫縮緬の女頭巾を被り直しました。お銀様は、いつもよりは早い足どりでお城の大手の方へ、大手の方へとめざして歩いて行きましたが、どうもお君は、それが少しずつ物狂わしいように思われて、不安の念に駆《か》られないわけにはゆきません。
 甲府の城は平城《ひらじろ》ではあるけれど、濠《ほり》も深く、櫓《やぐら》も高く、そうして松の間から櫓と塀の白壁が見え、その後ろには遥かに高山大岳が聳《そび》えている。濠を廻って二人の若い女は大手の門の前へ立ちました。
 ここへ来ると、お天守台も御櫓も前に見えなかったのが、よく見えます。
 お城の大手の濠の前に立
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