「それはそうであろう、伯耆の安綱ともいわれる刀で犬猫も斬れまいし、滅多に土壇《どだん》や巻藁《まきわら》をやっても物笑い、それこそ宝として飾って置くが無事だわい」
 竜之助は寧《むし》ろ安綱を冷笑するような言葉つきでありました。
「折れても承知、その刀の真の切れ味が知りたい」
と神尾は言いました。
「折れて承知ならば、一番斬ってみようか」
 竜之助はこう言いました。
「頼む」
 神尾は透《すか》さずこう言いました。
 竜之助は打返して、その刀を振り試みていました。
「よし、試してみよう」
 竜之助はやはり巻藁か土壇を切るように容易《たやす》く請合《うけあ》ってしまいました。
「それでは、机氏」
と言って、主膳は伯耆の安綱を竜之助に預けて帰ろうとします。
「もう、お帰りか」
「このごろは甲府の市中が物騒でな、我々とても油断しては歩けぬ」
「物騒とは?」
「辻斬が流行《はや》るのじゃ」
「辻斬が?」
 竜之助はこの時、苦笑いをしました。主膳は刀を差しながら、
「昨夜も、小林と申す剣道の師範役の高弟が斬られたのじゃ、斬った奴は何者だともまだわからぬ、奉行の手でもわからぬし、城内の者にも心
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