之助に向って訴えようとするものらしいが、どうしても口が利けないらしい。
「神尾殿が来てなんとかするまで、もとのところで窮命しておれよ」
 竜之助は、やはり片手でさぐって、のたり廻る幸内の襟髪《えりがみ》を無造作《むぞうさ》に掴んで、部屋の隅へ突き飛ばしてしまいました。
 幸内を振り飛ばした机竜之助は、やがて手柄山正繁の一刀を腰に差して立ち上りました。
 振り飛ばされた幸内は、長持の隅のところへ投げ倒されたなりで、今度は動くことをしませんでした。そうしておいて竜之助は、懐中から宗十郎頭巾《そうじゅうろうずきん》を出して冠《かぶ》りました。頭巾を冠ってしまってから、座敷の隅をさぐるとそこに杖が立てかけてありました。その杖を手に取って、行燈の方へ静かに歩み寄って、その火を消そうとすると、廊下に人の足音がしました。それで竜之助は行燈を覗《のぞ》いたような形のままで、その足音に耳を傾けました。
 足音は廊下を伝ってこの座敷へ来るのであります。
「机氏、机氏」
と言って竜之助を呼びました。
「おお、主膳殿か」
 竜之助はそれを知って、燈火を吹き消すことをやめて、冠《かぶ》っていた頭巾を取って懐中へ
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