差しても竜之助が差しても恥かしからぬほどの拵えのある刀でありました。その刀をこころもち居合に取って、行燈の方向を少し避けるようにしたのは、ここに引寄せて斬って捨てようとの心構えに見えました。
 真黒になって手足を縛られた人間が、やっと立ち上った形は、大きな蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]《いもり》が天上するような形であります。手足こそ縛られているけれども、いっこう猿轡《さるぐつわ》を箝《は》められた模様もないのに、口を利かないのはなぜだろう。なんとも言わないで、蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]《いもり》の天上するような形をしてやっと長持をもがき出した黒い人影は、人魚の児が這い出したようにして畳の上をのたくって、竜之助の方へと寄って来るのであります。
 のたりのたってその男は、ついに竜之助の膝のところまで来ると、その膝を枕にするようにして竜之助の面《かお》を打仰ぎました。
「叱《しっ》!」
 竜之助は左の手でそれを払い退けると、その男は執念《しゅうね》く再び竜之助の膝にのたりつくのであります。
「うるさい」
 竜之助は再びそれを払い退けました。払い退けられて男は三
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