の蓋に向ってこう言いました。その様、何か心得ているらしく見えます。しかし動きはじめた長持は、竜之助のこの声を聞いて静まることがなくて、かえって烈しい音を続けざまに中から立てて、それに相答うるような有様でありましたが、敢《あえ》て一言も人の言《こと》の葉《は》としてはその中から洩れて来るのではありません。
「おとなしうしておれ、騒ぐとかえってためにならぬ」
竜之助は叱るように、また教えるように、或いは嚇《おど》すようにこう言いました。ところが、その声を聞くと、いや増しに長持が動きました。動くというよりは寧《むし》ろ、長持そのものが荒《あば》れ出したように見えました。もしこの長持の中に人があるならば、こんなに荒れ出す先に、許せとか助けよとか、哀れみを請うべきはずであるのに、そうでなくて、ただただ必死に荒れてのみいるのでありました。その荒れる烈しさをこちらから想像すれば、それはかなり力のある男のする業であると、誰もそう思わないわけにはゆきません。
口では叱るように、教えるように、または嚇すように騒ぐなと言ったけれど、その態度は冷然たるもので、いよいよ動き荒れ出した長持の蓋も箱も中から裂け
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