です。しかるにこの人は平気で寝刃を合せています。蒼白い面《かお》の色、例の切れの長い眼の縁《ふち》には、十津川で受けた煙硝のあとがこころもち残っているけれども、伏目《ふしめ》になっている時には、それが盲目とは思われないほどに昔の面影《おもかげ》を伝えていました。その面の色はいつ見ても沈んでいる。
音無しの構えに取った時に見る、真珠を水の底に沈めたような眼の光こそ今は見ることができませんけれど、その代りに蒼白い面の表一面に漲《みなぎ》るような沈痛の色、それは白日の下で見るよりは燈火の影で見た時に、蒼涼《そうりょう》として人の毛骨《もうこつ》を寒からしむるものがあります。
今、ようやく寝刃《ねたば》を合せ終ったのは二尺三寸、手柄山正繁の一刀でありました。この刀を斬れるようにして、それから竜之助は何をするつもりであるか知れないけれど、いま竜之助が座を占めて刀調べをしているこの一間、そもそもこの屋敷、それは説明しておく必要がありましょう。
この屋敷は甲府を離るること半里、躑躅《つつじ》ヶ崎《さき》の古城跡にある荒れた屋敷であります。そうしてこの屋敷の持主は神尾主膳であって、主膳は前の持主
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