の馬大尽《うまだいじん》へ訪ねて来たのは駒井能登守でありました。
 新任の勤番支配が何用あって、先触《さきぶれ》もなく自身出向いて来られたかということは、この家の執事を少なからず狼狽《ろうばい》させました。
「馬を見せてもらいたいと思って、遠乗りの道すがらお立寄り致した次第、このまま厩《うまや》へ御案内を願いたいもの」
 こう言われたので執事は安心しました。
 こうして駒井能登守は、有野村の馬大尽の伊太夫に案内されてその厩と牧場《まきば》を見廻っています。能登守には若党と馬丁とが附いていました。伊太夫には執事の老人と若い手代とが附いていました。伊太夫は六十ぐらいの年輩でありました。馬を見ながら、あるところは能登守の説を謹んで聞き、あるところは能登守に教えるようなことがあります。
「名馬というものは滅多に出て参るものではござりませぬな、こうして数ばかりはいくらか揃えてござりますれど、いずれを見ても山家《やまが》育ちで……せめてこのなかから一頭なりともお見出しにあずかりますれば、馬の名誉《ほまれ》でござりまする、また拙者共の名誉でござりまする」
 こう言って厩を見て行ったが、一つの馬の前へ
前へ 次へ
全105ページ中46ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング