した。
「お前、帰りがけに、あの娘のところへ行って、あの娘に、わたしのところへ遊びに来るように、と言っておくれ」
「はい、畏《かしこ》まりました」
 そう言って幸内は、長い桐の箱を小脇にして縁側を離れました。その桐の箱の中にはこのお嬢様の父なる人の、秘蔵の刀が入っているということが話の模様で推察されます。
 お君が女中部屋へ帰って針仕事をしている時分に、ポツリポツリと雨が降り出してきました。
「こんにちは」
 内にいたお君は、それが幸内の声であることを直ぐに覚《さと》りました。実はもう少し早く幸内がお嬢様の言伝《ことづて》を持って来るだろうと、心待ちにしていないわけでもありませんでした。
「どなた」
 それと知りつつもお君は障子をあけると、
「私」
「これは幸内さん、よくおいでなさいました」
 見ると幸内は、こざっぱりした袷《あわせ》に小紋の羽織を引っかけて傘をさして、小脇には例の風呂敷包の長い箱をかかえて、他行《よそゆき》のなり[#「なり」に傍点]をしていました。
「さあ、どうぞお入りなさいまし」
 お君は愛想よく迎えました。
「わしはこれから、ちと他《よそ》へ行かねばなりませぬ。あ
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