。歩くといっても、やはり米友は跛足《びっこ》です。それに背が低いからいちいち床几を下へ置いてその上へのって、それから油を差して歩きます。
境内を残る隈《くま》なく見廻って、油を差すべきものには差し終ってから米友は、また茶所へ帰って来ました。そうして熱いお茶を一杯いれて呑んでから、烏帽子《えぼし》を取って叩きつけるように抛《ほう》り出して、また前のところへ胡坐《あぐら》をかいて、前のようにぼんやりとして、接待の茶釜の光るのと炭火のカンカンしているのをながめていましたが、程経てまた大欠伸《おおあくび》をはじめてしまいました。
「眠ってえな」
と言って眼を擦《こす》りながら、
「はははは、笑あせやがら」
なんと思ったか米友はカラカラと笑い出して、
「でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]なんというものは見たことも聞いたこともねえんだ、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来たからったっても、なにもそんなに驚くことはあるめえじゃねえか」
と言いました。何か米友はそのでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]について腑《ふ》に落ちないことがあるようです。
「そのでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が喧嘩に来るから、それを怖がっているような八幡様じゃあ、八幡様の有難味が薄いや、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来たら来たように、俺らがなんとかひとつ掛合ってみてやろうじゃねえか」
米友はしきりにでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]のことを言って当《あて》のない臂《ひじ》を張ってみましたが、それも暫くすると、眠気に負けたらしく、羽目《はめ》へ寄りかかってコクリコクリと漕《こ》ぎ出してしまいました。
「あ、眠っちゃいけねえんだ」
茶釜を溢《あふ》れた沸湯《にえゆ》が、炭火の上に落ちてチューと言った音で米友は眼を醒《さ》ましましたが、すぐにまた漕ぎはじめてしまいました。
やや暫く居眠りをしていた米友が、
「あ、また眠っちまった」
と言って二度目に眼をさました時は、何か気にかかるようなものがあるような様子です。
「はてな、今、足音がした、たしかにここで足音がしたに違えねえんだ」
と言って、米友は眠い目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って鳥居の方から外を見ました。
「誰だい、誰か来たのかい」
と咎立《とがめだ》てをしたけれど、外は闇でよくわかりません。燈籠の火影《ほかげ》の届くところには何者も見えませんでしたけれど、感心なことに宇治山田の米友は、居眠りをしても、その足音を聞き洩らすような油断がありません。
「まさか、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]じゃあるめえな」
と言って座右を顧みた時に、そこに六尺の手槍がありました。
「兄い、なかなか寒いじゃねえか」
気軽に茶所へ入って来たのは、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]でもなければ、八幡様の廻し者でもないようです。竹の笠を被って紺看板《こんかんばん》を着て、中身一尺七八寸ぐらいの脇差を一本差して、貧之徳利を一つ提げたお仲間体《ちゅうげんてい》の男でありました。
「うむ、寒い」
米友は案外な面《かお》をして仲間体の男を見ますと、その仲間体の男は、心安立《こころやすだ》てにズカズカと火の傍へ寄って来て、
「兄い、済まねえがお茶を一杯振舞ってくんねえ」
と言いました。
「いくらでも飲みねえ」
仲間体の男は貧之徳利を土間へ置いて、大土瓶から熱いお茶を注いで飲みました。お茶を飲むところを笠の下から見ると、この仲間体の男は、折助《おりすけ》にしては惜しいほどの人柄に見えました。
「どこへ行ったんだい、もう晩《おそ》いよ」
と米友は咎立《とがめだ》てをするような口ぶりであります。
「ナニ、部屋からの帰りなんだ」
と仲間体の男はなにげなき体《てい》で返事をして、お茶を飲んでしまうと懐中から叺《かます》を取り出して、炭火で火をつけて鉈豆《なたまめ》でスパスパとやり出しました。
「兄い、不寝番《ねずのばん》かい、御苦労だな」
と言いました。
「ははは、不寝番だよ、今夜はでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来るというから、それで寝られねえんだよ」
「ははあ、なるほど」
と言って仲間体の男は頷《うなず》きました。
「でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]がこの八幡様へ喧嘩をしかけに来るんだそうだ、それで八幡様のお庭を明るくしておけと神主様の言いつけだ、だからこうして不寝番をして、時々燈籠へ油を差して歩くんだ」
米友はワザワザ申しわけのように言っていると、
「なるほど、それは御苦労さまだ、油を差すのはいいが、油を売っちゃいけねえよ」
「ばかにしてやがら、油なんぞを売るものか」
「それでも今、コクリコクリとやって
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