のうちには、アッと言ったものばかりはありませんでした。例のいやみな神尾の癖がと、苦々《にがにが》しい面《かお》をして控えているのもありました。その苦々しい面をして控えている者も、神尾のやり方のいやみなのに苦々しい面をしたので、その名刀を見たいという熱望は決して苦々しいものではありません。辞《ことば》を厚うし、身を謙下《へりくだ》っても後学のために見ておきたいと思っていたところでありましたが、神尾があんまり我物顔《わがものがお》に思わせぶりをするものだから、
「いかにも、あの有野の伊太夫が家に名刀があるとはかねて噂《うわさ》に聞いていた。噂に聞いたところによれば、源氏の髭切膝丸《ひげきりひざまる》、平家の小烏丸《こがらすまる》にも匹敵するほどの名剣であるそうな。しかし誰が行っても見せたことはない、見た者もないという。それ故、あの名刀は評判倒れ、実はそれほどでもない剣《つるぎ》を、あんまり評判が高くなった故に、人に見られるのがきまりが悪く、それ故秘して置くという蔭口もござる。今日はそれらの疑いが残らず晴れることでござろう、喜ばしいことでござる」
やや皮肉まじりに言い出でたのは、鉄砲方の平野老人でありました。
「まことこの品が噂通りの名剣であるか、或いはさほどのものではないか、御一見の上でおのおの方の腹蔵なき御意見を承わりたい。拙者とても今日はじめて見る品」
神尾は平野老人の言い方が少し癪《しゃく》にさわったようでありました。しかしこの老人はこの席の中での刀の目利《めきき》でありましたから、多少は警戒しました。万々が一、この刀が評判ほどのものでないとすれば、真先にこの老人から槍が出ると思いましたから、少しは気味が悪いと見えます。それだから自分はまだこの刀を見ていないのだという予防線を張って用心をしておきました。そう言っておけば万々が一、この刀がそれほどのものでなかったにしろ、幾分は責任が逃《のが》れるし、もし評判通り非常な名剣であった時には、思い入りこの老人からとっちめてやろうという腹なのでしょう。
それですから老人の方でも、また多少の意気張りが出て、眼鏡を拭いて掛け直しました。平野老人につづいては師範役の小林が名を得ていました。この両人のほかの者といえども、刀についてはみな相当の眼を持っていないものはありません。或いは平野や小林以上に、眼の肥えていて名の聞えないものが一座の中にいないとは限りません。
一応アッと言わせたけれども、あけて口惜しき玉手箱ではせっかくの趣向がなんにもならぬ。こんなことならば、一応自分が見ておいてから、この席へ出した方がよかったと神尾は、多少自分の軽率を悔ゆるようになりつつ、ようやく包みを解いてしまって、箱を開くと古錦襴《こきんらん》の袋の中には問題の太刀が一|振《ふり》。それから神尾が袋を払って、その白鞘《しらさや》の刀に手をかけて鄭重《ていちょう》に抜いて見ました。
刀身の長さは二尺四寸。神尾主膳がそれを抜いてつくづくと見ると、例の平野老人は眼鏡の面《かお》をそれに摺《す》りつけるようにして横の方から見ました。小林文吾もまたそれを前の方からながめていました。一座の連中は、或いは近いところから、或いは遠いところから、しきりに覗《のぞ》いたり眺めたりしていました。主膳はつくづくと見て、
「うむ」
と考え込んでいましたが、そのままなんらの意見も述べないで平野老人の手へと渡してやりました。平野老人はそれを恭《うやうや》しく受けて改めて法式通り熟覧しました。平野老人は打返して二度まで見ました。
「うむ」
これも唸《うな》るように、うむと力を入れて言ったままで、次なる師範役の小林文吾の手へと渡してやりました。小林師範がそれを受けてしきりにながめましたけれども、これも一言も意見を述べませんでした。そうして、やはり無言のままで次へ渡してしまいました。同じようにしてその刀が列座の人々の手から手に渡されて、いずれも考えを凝《こ》らしてながめていましたが、誰とて、それについて極《きわ》めをつけてみようというものはなく、こうもあろうかという意見をさえ述べるものはありません。そうして無言のままに受取られて刀は席を一巡し、ようやく神尾主膳の手に戻りました。
「さて、いかがでござるな、おのおの方」
その刀を鞘へ納めながら神尾主膳は一座を見廻しました。けれども、誰もまだウンともスンとも言いませんでした。相州物であろうとか、いいや備前とお見受け申すとか、おおよその見当さえ附ける人がありませんでした。おおよその見当を附けてさえ笑われることを恐れるほどに、わからないのがこの刀でありました。
「区《まち》よりいったいに板目肌《いためはだ》が現われているようでござるな」
平野老人がようやくこれだけのことを言いました。相州物とも大
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