御鑑定になりましたそうでございます」
「なるほど」
「斯様《かよう》な刀には我々共が極めをつけるは恐れ多いと本阿弥様が御謙遜《ごけんそん》になり、主人もまた、極めをつけていただくことが嫌いなのでございまして、ただ宝刀として蔵《しま》って置きましたのでござりまする」
「なるほど」
 ここの一座には、安綱を見たものはいずれも初めてでありました。
 伯耆の安綱は大同年間の名人、その時代は一千年以上を隔てたものです。よし安綱であってもなくても、それと同格或いは同格以上のものであらば、それは宝物とするのに充分であります。
 見直しているうちに、一座は誰とてそれに不服を唱えるものはありませんでした。
「摂州多田院の宝物に童子切《どうじぎり》というのがあるそうじゃ、これは源頼光《みなもとのらいこう》が大江山で酒呑童子《しゅてんどうじ》を斬った名刀、その刀がすなわち伯耆の安綱作ということだが、拙者まだ拝見を致さぬ。その他、大名のうちに、稀には安綱があるとも承ったけれど、いずれもその名を聞くばかり」
と言って平野老人は、再び手許に戻って来た名刀を貪《むさぼ》り見ると、神尾主膳もまた老人と額《ひたい》を突き合せるようにして刀ばかりを見ていました。

         五

 その席はそれで済みました。主人も客も、始めあり終りある会合を満足して退散しました。
 ただここで変なことが一つ起りました。それは幸内の行方であります。幸内はあれから御馳走になって神尾家を辞したのは夕方のことでありました。もちろんその帰る時も小腋《こわき》には、伯耆の安綱の箱を抱えて帰ったのでありましたが、それが有野村へは帰らずに、途中でどこへ行ったか姿が見えなくなってしまいました。
 有野村の馬大尽の家では誰も、幸内がこの会合の席まで来たということを知ったものはありません。一日や二日帰らないからと言って、それはいつもあることだから誰も不思議とは思いませんでした。ただ一人、心配なのはお銀様ばかりです。今日で約束した三日の期限が切れるのに、幸内がまだ帰って来てくれないことをお銀様は心配していました。三日の期限が切れたから、直ぐにお父様に咎《とが》められるというわけではないけれど、あの刀は秘蔵の刀である故に、心配になります。
 それでも、幸内を信じたお銀様は、やがて幸内が持って帰ることと信じていました。
 けれどもその三
前へ 次へ
全53ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング