て、真白なお絹の面と肌とが活きて動くように見え出した時、がんりき[#「がんりき」に傍点]はどこかで大木の唸《うな》るような音を聞きました。
 猫が鼠を捕った時は、暫らくそれをおもちゃにしているように、自分でそこへ抛り出したお絹の面《かお》を見ると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は物狂わしい心持で、
「こうしちゃいられねえんだ」
 再びお絹を背負い上げて登りはじめようとしたが、この時はがんりき[#「がんりき」に傍点]の身体もほとんど疲労困憊《ひろうこんぱい》の極に達して、自分一人でさえ自分の身が持ち切れなくなってしまいました。この女を荷《にな》ってこの崖路《がけみち》を登ることはおろか、立って見つめているうちに、眼がクラクラとして、足がフラフラとして、どうにも持ち切れなくなったから、がんりき[#「がんりき」に傍点]はお絹の傍へ打倒れるようにして、烈しい吐息《といき》を、はっはっとつきながら峠の上を仰いで、
「矢立《やたて》の杉が唸《うな》っていやがる、矢立の杉が唸ると山に碌《ろく》なことはねえんだ。せめて、あの杉のところまで行きたかったんだが、この分じゃあもう一足も歩けねえ、といってこ
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