た女は少しの抵抗する模様もなく、背中へグッタリと垂れた面へおりおり木の繁みを洩れた月の光が触《さわ》ると、蝋《ろう》のように蒼白く、死んだものとしか見えません。
それを背中へ載せて路のないところを登って行くがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵。これもまた面の色が真蒼《まっさお》で、ほとんど生ける色はありません。木の根に助けられたり、岩の角に支えられたりして、上るには上るが、その息の切り方が今にも絶え入りそうで、やっと一丁も登ったかと思う時分に、力にした草の根が抜けると一堪《ひとたま》りもなく転々《ころころ》と下へ落ちました。
「ああ、苦しい」
二三間も下へ落ちて岩の出たところで支えられた時に、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、もう苦しくて苦しくてたまらなく見えましたけれど、その肩へ引っかけていたお絹の手首は決して放すことではありません。
はッ、はッと吐く息は唐箕《とうみ》の風のようであります。なんにしても、がんりき[#「がんりき」に傍点]は腕が一本しかないのです。その一本しかない腕で、お絹を肩に担いで、足と身体で調子を取って上ろうとする心だけが逸《はや》って、岩に足を踏掛ける
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