州特有の言葉ありて面白く覚え候、昨日はまた甲州|名代《なだい》の猿橋といふのを通り申候、これは名所絵などにて御身も御承知の事と存じ候へ共、猿が双方より手を延ばしたるやうの形にて、土地の人は橋より水際まで三十三|尋《ひろ》、水際より水底まで三十三尋も有之候様に申し居り候処、その間に一本の柱も無く組立て候事が奇妙に御座候、甲州は評判の如く荒き処あり、途中も心して見聞致し居り候。
さて御身の御病気は如何に候や、われら斯《か》くの如き愉快なる旅をつづけ居り候うちにも常に心にかかり候はこの事のみに候、追々寒さにも向ひ候べく、一しほお厭《いと》ひなさるべく候、昨日受取り申候たよりによれば少しく快方との事、やや安心は致し候へども、甲府入りを致したしとは以ての外に候、少々快方に向ひたればとて心に弛《ゆる》みを生じてはならず候、再三申し候通り此の道は男子も憚る険道、それを女の身にて、殊に病中の身にて旅立たんなどとは想ひも及ばぬ事に候、左様の心を起さず当分は御静養専一に可被成候《なさるべくそろ》、冬を越して来春身体と共に陽気の回復する頃を待ちて御入国なされ候へ。
今日も女連の二人の者同じく江戸より出で
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