もあの者共を追い廻すために来たのではない、歩いている間に打突《ぶっつ》かって来たら、捉《つか》まえてみるがよし、逃げて行ったら逃がしておくがよし」
そこで、今までのひっかかりはいっさい断ち切ってしまって、翌朝駒井能登守の一行は猿橋駅を立ち出でて、またも悠々として甲州道中をつづけました。
猿橋から殿上《とのうえ》、横尾、駒橋《こまばし》を通って大月へ出た時分に、
「この大きな一枚岩のような山、これが武田の勇将|小山田備中守《おやまだびっちゅうのかみ》が居城|岩殿山《いわとのさん》、要害としても面白いが景色としても面白い。備中守|信茂《のぶしげ》はたしかこの城で二度の勇気を現わしているようだ。一度は村上義清の手から逆襲された時、五十余人でこれを守って守り通してその間に信玄の援兵が来た。二度は武田の末路の時、織田の兵をここで引受けて備中守が斬死《きりじに》した。武田家にはさすがに勇士がある、天険がある、この天険あり勇士あってついに亡びたのは天運ぜひもなし」
「いかにも、武田家の武略には東照権現も心から敬服しておられた。徳川家の世になって甲州の仕法《しほう》は、いっさい信玄の為し置かれたま
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