た故、山のぼりなどをしてはおれぬ」
「急用と申しますのは?」
「黒野田の宿で、何か変事が出来たということじゃ」
「へえ、あのお絹様と、それからお松どのとが何か難儀にお遭《あ》いなされましたか」
「左様」
「それは大変でござりまする。してその難儀と申しまするのは?」
「くわしいことはわからぬが、盗賊か胡麻《ごま》の蠅《はえ》に過ぎまいと思う」
「それはまことに心がかりでござりまする」
「とにかく、黒野田へ行って見ての上でないと拙者にもわからぬ。それから滝田、この道中、ことによると駒井能登守という旗本と出逢うかも知れぬ、それはこのたび、甲府へお役になった拙者の知合いだ、たぶん我々が峠へ登る時分に、駒井は下りて来るだろうから、やがて行逢った時は、乗物を下りて名乗り合うのはこと面倒だから、知らぬ面《かお》をして通れ」
「畏《かしこ》まりました」
「なるべくならば神尾主膳と名乗りたくない、尋ねたならば、諏訪《すわ》の家中で江戸へ下るとでも申しておいたがよろしかろう」
「畏まりました」
こうして神尾主膳の一行が関所を出て橋を渡って休所の、すしや重兵衛の前を通って駒飼《こまかい》へと進んで行きまし
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