無理無体に引張り出されたから、女の力で争うことはできません。
「ほんとに口惜しい、わからないお役人だ、わからずや」
 お角は引摺《ひきず》り出されてしまいましたけれど、その引摺り出されたところは意外にも甲州口でありました。
「愚者《おろかもの》め」
 ポンと関所の外へ突き放されて腰が砕け、暫らく起き上れないでいたが、起き上った時分に気がついてお角は喜びました。
「ああ、わかった、あの若い殿様が粋《すい》を利かして下すったのだ、もと来た方へと言って、ワザとわたしを甲州口の方へ突き放すように、御家来の方に指図をなされたものを知らずにお怨《うら》み申したわたしは、やっぱり女だから馬鹿だね。殿様、有難う存じます、あとでお礼を申し上げまする」
 お角は起き上ってお関所の方へ向いてお礼を言いました。
 それから大急ぎで甲州の方へ歩いて行きました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]に出し抜かれてしまったお角は、こうして前後の考えもなくそのあとを追いかけて来ました。お角にとっては、がんりき[#「がんりき」に傍点]がそれほどに可愛ゆいわけではなく、お絹という女が憎らしくてたまらないのです。あんな古証文を突きつけて人をばかにした上に、またがんりき[#「がんりき」に傍点]と一緒になってこれ見よがしの振舞でもされた日には、意地も我慢もあったものではないのですから、お角はあとを追っかけて来ました。
 腕こそ一本落したけれど、足の方に変りのないがんりき[#「がんりき」に傍点]の歩きぶりは、到底お角の足を以て如何《いかん》ともすることはできません。ましてがんりき[#「がんりき」に傍点]の方は変則な道を通り、裏道を行くのは慣れているから、お角が追いかけてみたところで到底ものにはならないけれども、どのみち行く道筋は甲州街道で、落着くところは甲府、先へ行ったのは女連、途中どこかで追いつかなければ、甲府で落ち合う。その時は、がんりき[#「がんりき」に傍点]とあの後家様をつかまえて、思う存分荒れてやろうと、例の如く懐中には剃刀《かみそり》なんぞを忍ばせて、駕籠を飛ばせて来たわけです。
 幸いにうまくお関所が抜けられたけれど、これから先がほんとうの難所、女一人で通れるはずの道とも思われません。
 お角が一人で小仏《こぼとけ》の方へ行ってしまってから、駒井能登守の一行がこの関所を立って同じ方向に出かけました。
 関所で駕籠乗物の用意をするというのを謝絶《ことわ》って、やはり馬で行きました。険岨《けんそ》な道へかかったら馬から下りて歩くと言って出て行きました。
 小仏の宿《しゅく》から峠まで二十六丁。
「しかしあの女は愚かな女じゃ、駒木野を越えたからとて、まだこの先に上野原の関所もあれば、駒飼《こまかい》の関所もある、関所よりもなお難渋な、小仏峠というものもあれば笹子峠というものもある、これを知ってか知らずか、女一人で甲府まで乗り込もうというのは、大胆と言おうか、愚かと言おうか」
 これを話のはじめに、与力同心のなかでいろいろの話が持ち上りました。
「いや、あれは真実、亭主の病気を思うて出かけて来たのかどうかわからんが、とにかく何か思い込んで来たような女である、あんなのが何か思い込むと大胆なことをするものじゃ」
「左様、女軽業の元締《もとじめ》とか言いおったが、彫物《ほりもの》の一つもありそうな女じゃ、しかし悪党ではないらしい」
「悪党ではあるまいが、悪党に変化しそうな女である、あれが悪党になると鬼神のお松といった形で、この峠の上などに住みたがる」
「いや、そういうことはあるまい、あんなのはまかり間違って亭主を剃刀で切るとか、胸倉を掴んでギュウと締めるといった程度で、それ以上のだいそれたことはできまい。むしろ平常《ふだん》は内気でおとなしく、口も碌《ろく》に利かないような女が、時とすると大胆なことをする」
「それはどっちとも言い兼ねる、女はハズミ一つであるから、そのハズミの具合によっていかなることをやり出すかあらかじめ断わりはできない、女そのものの性質というよりも、時のハズミが女を賢婦人にしたり毒婦にしたりする例《ためし》が多い」
「それも一理はあるようじゃ。しかしそれではハズミというものをあまり重く見過ぎたきらいがある、いかにハズミが附いたからとて、政岡《まさおか》が、鬼神のお松になることはなかろう」
「性質にもよりハズミにもよる、罪はその両方にあると見るのが穏当であろう。明智光秀《あけちみつひで》の如きも、信長公があれほどの短気でなかったならば、謀叛《むほん》はしなかったであろうが、たとえ信長公が短気であったところで、光秀そのものに謀叛気がなければ、あんなことにはならぬ」
「要するに鐘と撞木《しゅもく》の間《あい》が鳴るというところで、我々共の役目においてもそ
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