ぶ》へ参詣に行くのだと申したがその通りか」
「左様でございます。お祖師様を信心致しますから、それで身延山へ参りてえと思って出かけて参りましたんで」
「身延の道者《どうじゃ》ならば講中《こうじゅう》とか連《つれ》とかいうものがありそうなもの、一人で出て歩くというは怪《け》しからん」
「それが、なんでございます、俺共《わっしども》は何の因果か人並みより足が早いんでございますから、講中の衆やなんかと一緒に歩いていた日にはまだるくてたまりません、それでございますから、どこへ行くにも一人でトットと出て行くんでございます」
「貴様が手形をもっておらんというのがどうしても怪しい、所、名前をもう一度そこで申してみろ」
「先にも申し上げた通り、手形を持っていたんでございますが、あの橋の真中へ吊される時に下へ落っこってしまったんでございます、桂川の水の中へ落してしまったんでございます。所、名前は山下の銀床《ぎんどこ》の銀といって……」
「よし、では鳥沢の粂を呼び出してからまた吟味《ぎんみ》をする、さがれ」
一通りの調べを受けて、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は次の間へ下げられて燈火《あかり》もない真暗なところへ抛《ほう》り込まれてしまいました。
「何だつまらねえ、猿橋を裏から見物させてもらうなんぞは、有難いくらいなものだが、こう身体が弱ってしまったんじゃどうにもやりきれねえ、今までのお調べは通り一遍だが、これから洗い立てられりゃ、どのみち、銀流しが剥《は》げるにきまってる、いつものがんりき[#「がんりき」に傍点]ならここらで逃げ出すんだが、身体の節々《ふしぶし》が痛んで歩けねえ」
と独言《ひとりごと》を言ってがんりき[#「がんりき」に傍点]はコロリと横になりました。
夜中になるとがんりき[#「がんりき」に傍点]の耳の傍で囁《ささや》く声がしたから、がんりき[#「がんりき」に傍点]はうとうとしていた眼を覚ました。
「百、しっかりしろ」
「兄貴か」
「野郎、また遣《や》り損《そこ》なったな、いいから俺と一緒に逃げろ」
「兄貴、動けねえ」
「意気地のねえ野郎だ、さあ俺の肩につかまれ」
「俺を荷物にしちゃあ兄貴、お前も動きがつくめえ、打捨《うっちゃ》っといてくれ」
「手前を打捨っておきゃあ、俺の首も危ねえんだ、早くしろ」
「それじゃせっかくだから、お言葉に甘えて御厄介になるべえ」
「
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