やがるだろう、これからゆっくりその話の筋を語って聞かせてやるから、落着いて聞いていねえ、それを聞いているうちにはなるほどと思うこともあるだろう、俺が酔興《すいきょう》であんな軽業をさせるんじゃねえと思う節《ふし》もあるだろう……おやおや、役人が大勢来やがったな、あ、百の野郎を引き上げたな。うむ、土地のやつらあ俺を憚《はば》かって手が着けられねえのを、木端《こっぱ》役人め、出しゃばりやがったな、面白《おもしれ》え、どうするか見ていてやれ、百の野郎がなんとぬかすか聞きものだ」
駒井能登守の一行はその晩、猿橋駅の新井というのへ泊りました。がんりき[#「がんりき」に傍点]の百は一間へ引据えて置いたが、息の絶えるほど弱っているのだから、縄をかけるまでもあるまいと、与力同心は油断をしてそのままで置きました。
「鳥沢の粂という者を呼んで、ともかくもこの男と突き合せて見給え」
能登守は命令の形式でなく、どうでもよいことのようにこう言って引込んでしまいました。
与力同心の連中は、ちょうど慈恵学校の生徒が解剖の屍体をあてがわれたような心持で、がんりき[#「がんりき」に傍点]の再調べに着手すると共に、いわゆる鳥沢の粂なる者を引き出そうとしました。
ところが粂はただいま外出して行方が知れないという返事であったから、更にその行方を厳《きび》しく詮索《せんさく》させることにして、一方にはがんりき[#「がんりき」に傍点]の百を三度目に引き出して調べてみました。いろいろにして泥を吐かせてみようとしたけれども、前と同じように百はいっこう口を開きません。あんな目に遭わされて、相手の罪を訴えないことがだいいち不思議であります。
「なあに、俺《わっし》が悪かったんでございますから、殺されたって仕方がねえんでございますから」
と言ったきり。
「貴様は、たいそう足の早い奴だな」
「へえ、歩くのは達者でございます」
「貴様は片腕が無い、それはどうしたのだ」
「これは怪我をしたから、お医者さんに切ってもらったんでございます」
「貴様は髪結渡世《かみゆいとせい》だと言ったが、その片腕で髪結ができるのか」
「へえ、両腕の揃っていた時分に叩き込んでありましたから、まだそれが片一方の方へいくらか残っているのでございます、けれども碌《ろく》な仕事はできませんからこのごろは職人任せでございます」
「貴様は身延《みの
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