はこんな時勢だから、真直ぐなことばかりは通らねえのだ、あたりまえのことをしていた日にはトテモ、急に兵馬さんを助け出すことはできねえのだ」
「困ったことでございますねえ、御牢内のおかかりよりも、もっと上のお役人を頼んでお願いをしてみたらどうでございましょう」
「そこに一つの当りがねえわけではねえのだ、実はあの方の係りが、お前の知っている神尾主膳様よ」
「神尾主膳様? あの伝馬町の、わたしの元の御主人様が……」
「いかにも。その神尾様がこちらを失敗《しくじ》ったものだから、甲府詰を仰付《おおせつ》かったのだ。お旗本で甲府詰になるのはよくよくで、もう二度と浮ぶ瀬がないようなものだ。それであの神尾様も甲府へ行って、自暴半分《やけはんぶん》になかなかよくないことをなさるそうだ」
「そんなら伯父さん、その神尾様が御牢内の方のお係りでありましたら、わたしがこれからあちらへ行ってお願い申してみましょう、兵馬さんは決してそんな悪いことをなさる人ではないということを、わたしから神尾の殿様によく申し上げて、お願い申してみましょう」
「それなんだ、お前も一旦の御主人であってみれば、お前から願ってみれば聞いて下さるかも知れぬ。と言って、あの殿様はなかなか性質《たち》のよくない殿様だ、お前がとりなしたために、かえってよけいな面倒が起りはしないかと、俺はそれを心配するよ」
「神尾の殿様だって、まるっきり物のおわかりにならないお方ではございませぬ、わたしが一生懸命になってお願いをしてみたら、きっとお聞入れ下さることと思います。もしそれでいけませんでしたら、伯父さんのおっしゃる通り、兵馬さんを盗み出すなりどうなりしたがようございましょう、そうなればわたしも覚悟をしますから、どんなにしても兵馬さんをお隠し申します」
「なるほど……しかし、お前も今は主人持ち、ここで甲府まで出かけるというわけにはゆくまいからな」
「行きますとも、甲府まででもどこまででも参りますとも、ほかのこととは違いますから、わたしはどんなにしても、こちらのお暇をいただいて甲府へ参ります」
「もし暇が出なかったらお前はどうする」
「お暇が出なければ……わたしはお邸を逃げ出してもよろしうございます」
「なるほど……」
 七兵衛が暫く考えていましたが、
「お前がそこまで了簡《りょうけん》をきめてくれたなら、俺はひとつお前を連れて甲府へ乗り込むことにしてみよう。素直《すなお》にお暇の出ないことは知れているから、今夜、わしが人目に立たぬようにお前のところへ迎いに行く、それまでに身の廻りの物を用意して待っているがいい。それからお邸の間取り、お前の部屋の案内を聞かしておいてもらいたい」
 そこで七兵衛はお松から、邸の内部の模様をややくわしく聞き取って、二人はこの店を別れました。

         七

 お松は七兵衛と別れて、越後屋の奥座敷を出て、薩州邸の長い土塀をグルリと廻って徳島藩の裏門を入りました。
 その晩、お松はいろいろの思いで手近のものを用意して、日が暮れるのを待ち兼ね、日が暮れると、夜の更《ふ》けるのを待ち兼ねていました。ほかの女中たちは、昼の疲れで早くから眠ってしまいました。お松は女中部屋の戸を細目にあけて待ち構えています。
 屋敷の庭には大きな池があって、池の向うには高い火の見櫓が立っています。お松が夜更けて七兵衛の合図を待つ時分に、この火の見櫓の上に二つの黒い影法師がありました。共に夜番や火の番の類《たぐい》ではなく、覆面をして両刀を差して一人は手に龕燈《がんどう》を携えていました。この二人の武士は相当に身分あるものらしく、櫓《やぐら》の上から、目の下に見ゆる薩州邸の内を仔細に見ていました。そうして一人の丈《たけ》の高い方が、矢立《やたて》と紙を取り出しては見取図を作っていました。
 お松はそこに人のあることは知らないで、一心に七兵衛の合図ばかりを待っていると、池の中へトボーンと礫《つぶて》の音。
 その音を聞いて、お松は立ち上りました。戸を細目にあけると、闇の中ながら、今どこからともなく落ちて来た礫が、池の水を動かして波紋がゆらゆらと汀《みぎわ》の水草の根を揺《ゆす》っているのを見て、お松は胸を轟《とどろ》かしながら四辺《あたり》を見廻しました。続いて第二の礫の音。
 この時、火の見櫓の上で見取図を作っていた丈の高い方が、
「今の音は?」
 聞きとがめると、
「池の中で魚が跳《は》ねたのでござろう」
 背の低い方が答える。
「魚の跳ねる音ではなかったようだ」
「と言うてこの夜中に――」
「ともかく、あの音は礫の音。ことによると、薩州の方で誰かここを認めた奴があるかも知れぬ」
「油断はなり申さぬ」
 薩州邸内の見取図を作っていた二人の武士は、櫓《やぐら》の上から前後左右を警戒すると、背の高いのが急に紙と筆を下へ投げ捨てるように差置いて、
「怪しい奴」
 手裏剣《しゅりけん》を抜いて発矢《はっし》と投げる。投げた方角は薩州邸の馬場から此邸《こちら》の隔ての塀あたり。低い方の武士は下に伏せてあった龕燈《がんどう》を手早く持ち直してその方角に突きつけると、池の上を飛ぶように汀《みぎわ》を走って女中部屋の方へ行く怪しの者。
 二人の武士は高いところにいたから、怪しい者の影を龕燈の光に照しては見たけれど、大きな声を揚げて屋敷の中を騒がすべく遠慮するところがあったものらしい。それで、
「怪しい奴」
「取逃がしたか」
と火の見櫓の上で面を見合せて、空しく下の闇を立って見ていると、池のほとりで、
「何者だ!」
「呀《あっ》!」
 ざんぶと水の中へ落ち込んだような物の音。
「出合え、出合え、いま女中部屋へ曲者《くせもの》が入った、早く出合え」
 ちょうどこの時、邸外を通り合せたのが白金《しろがね》に屯所《とんしょ》を置く荘内藩《しょうないはん》の巡邏隊《じゅんらたい》でした。短い槍と小銃を携《たずさ》えた四人の隊士が一人の伍長に率いられて、三田通りを巡邏してこの邸の外まで来た時に、邸内で曲者あり出合えという声を聞いたから、そこで五人が一時に立ちどまりました。
「御同役、何かこの邸内で変事がござったようじゃ」
「左様、何か物騒がしい」
 市中取締りが、この時分には町奉行の手だけでおさまりのつかなかったことは前に言う通りであったから、幕府は譜代の大名と五千石以上の旗本を択《えら》んで、それぞれ持場持場を定めて八百八街《はっぴゃくやまち》を巡邏させたのでありました。そうして、もっとも危険区域とされた三田の藩州附近、伊皿子《いさらご》、二本榎《にほんえのき》、猿町、白金辺を持場として割当てられたのが荘内藩であります。
 この荘内の巡邏隊は今、徳島藩邸内の騒ぎを聞いて、足を留めて中の様子を窺《うかが》っていると、脇門《わきもん》がギーッとあいて、そこから形を現わしたのが、以前火の見櫓で絵図面を取っていた覆面のふたり。
「さてこそ!」
 巡邏隊は短槍と小銃とを二人につきつける。
「これは巡邏隊の諸君か、お役目御苦労」
 中から出て来たふたりは、かえって心安げに言葉をかけたが、こっちは油断をしないで、
「名乗らっしゃい、我々は荘内藩の巡邏隊でござる」
「拙者は上《かみ》の山《やま》の金子六左衛門」
 大きいのが答えると、低い方のが、
「拙者は堤作右衛門」
 上の山の金子六左衛門は六左衛門で通る人でありました。六左衛門というよりも、その一名与三郎の方が通りがよかったこともあります。さきに新徴組が清川八郎を覘《ねら》う時、しばしばその金子の家で会合したことがあります。金子は新徴組の連中と交わりがよかったばかりでなく、そのころ聞えたる各藩士及び志士とはたいてい往来していました。その主張するところは幕府を佐《たす》けて尊王の志を成さんとするのであります。朝廷と幕府との間の調和をはかるがためには、非常に働いた人でありました。藩内では家老であり、その時代には一種の志士として畏敬《いけい》されていたのであったから、荘内藩の巡邏隊はそれを聞いて、やや意を安んずるところあって、
「これはこれは、上の山の金子殿でござったか、それとは知らず失礼を致しました。我々は白金屯所の荘内藩巡邏隊、拙者は伍長の斎藤角助と申す者」
と名乗りました。
 そこで斎藤角助は隊士に、槍と鉄砲を引かせ、
「この邸内が物騒がしいようでござるが……」
「いかにも。ただいま怪しい奴が忍び込んで、女を一人奪って逃げたと申すこと」
「女を奪って逃げた? それは聞捨てならぬこと」
「あの土塀を乗り越えて逃げたとやらだが、まだ遠くへは行くまいと思われる」
「諸君、追蒐《おっか》けて見給え」
 それはやり過ごしてしまって金子六左衛門は、先に立って歩きながら堤作右衛門を顧みて、
「一網打尽《いちもうだじん》にやってしまわねばいかぬわい」
という。堤はそれに答えて、
「いかにも。思いのほか念が入《い》った仕方でござるな」
「不届きなやつらじゃ、誰か大きな頭があって指図をしているのに違いない、中の様子はまるで要塞だ。いざと言えば幕府の兵を引受けて防戦する覚悟でいるから、まず謀叛《むほん》と見ても差支えない」
「お膝元を怖れぬ振舞《ふるまい》じゃ。もし大きな頭があって、その指図とあらば、このままに置くは幕府の威信にかかわる」
 六左衛門と作右衛門の話は徳島藩邸内で女が浚《さら》われたということとは全く別な話で、こうして二人は、三田通りの越後屋まで引上げて来ました。

         八

 この頃、また上野の山下へ一軒の変った床屋が出来ました。
 変ったといっても店の体裁《ていさい》や職人小僧の類《たぐい》、お客の扱いに別に変ったところはなく、「銀床《ぎんどこ》」という看板、鬢盥《びんだらい》、尻敷板《しりしきいた》、毛受《けうけ》、手水盥《ちょうずだらい》の類までべつだん世間並みの床屋と変ったことはない。ただ一つ変っているのは、この主人がてんぼう[#「てんぼう」に傍点]であったことだけであります。
 どうしたわけかこの床の主人には右の片腕がありません。滅多には店へ出て来ないけれども、職人小僧の使いぶりは上手であるらしい。
 この床屋の店先で、
「どうです、皆さん、大きな声では読めねえがこんなものが出ましたぜ」
「何でございます」
「まあ、読むからお聞きなさいまし」
「聞きやしょう」
 懐ろから番附様のものを取り出して、お客の一人が、
「ようございますか、恐れながら売弘《うりひろ》めのため口上……」
「なるほど」
「此度《このたび》徳川の橋詰に店出《みせだし》仕り候|家餅《いへもち》と申すは、本家和歌山屋にて菊の千代と申弘《もうしひろ》め来り候も、此度相改め新製を加へ極《ごく》あめりかに仕立《したて》趣向|仕《つかまつ》り候処、これまで京都堺町にて売弘め候|牡丹餅《ぼたもち》も少し流行に後《おく》れ強慾に過ぎ候、三条通にて山の内餅をつき込み……」
「ははアなるほど、御養君の一件だね、誰がこしらえたかたいそうなものを拵《こしら》えたものだが、うっかりそんなものは読めねえ」
「ナニ、御威勢の盛んな時分ならこんなものを拵える奴もなかろう、拵えたって世間へ持って出せるものではねえが、何しろ今のような時勢だから、公方様《くぼうさま》の悪口でも何でもこうして版行《はんこう》になって出るんだ」
「それだってお前、滅多《めった》にそんな物を持って歩かねえがいいぜ、岡ッ引の耳にでも入ってみろ、ただでは済まされねえ」
「大丈夫だよ、何しろ公方様の御威勢はもう地に落ちたんだから、とてもおさまりはつかねえのだ、ああやって貧窮組が出来たり、浪人強盗が流行《はや》ったり、天誅《てんちゅう》が持ち上ったりしている世の中だ」
「悪い悪い、公方様の悪口なんぞを言っては悪いぞ」
「かまうものか、公方様も今時の公方様は、よっぽどエライ公方様が出なくちゃあ納まりがつかねえ、このお江戸の町の中で、お旗本よりもお国侍の方が鼻息が荒いんだから、もう公方様の天下も末だ」
「なんだと、この野郎」
「なんでもねえ、実地
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