げたと申すこと」
「女を奪って逃げた? それは聞捨てならぬこと」
「あの土塀を乗り越えて逃げたとやらだが、まだ遠くへは行くまいと思われる」
「諸君、追蒐《おっか》けて見給え」
それはやり過ごしてしまって金子六左衛門は、先に立って歩きながら堤作右衛門を顧みて、
「一網打尽《いちもうだじん》にやってしまわねばいかぬわい」
という。堤はそれに答えて、
「いかにも。思いのほか念が入《い》った仕方でござるな」
「不届きなやつらじゃ、誰か大きな頭があって指図をしているのに違いない、中の様子はまるで要塞だ。いざと言えば幕府の兵を引受けて防戦する覚悟でいるから、まず謀叛《むほん》と見ても差支えない」
「お膝元を怖れぬ振舞《ふるまい》じゃ。もし大きな頭があって、その指図とあらば、このままに置くは幕府の威信にかかわる」
六左衛門と作右衛門の話は徳島藩邸内で女が浚《さら》われたということとは全く別な話で、こうして二人は、三田通りの越後屋まで引上げて来ました。
八
この頃、また上野の山下へ一軒の変った床屋が出来ました。
変ったといっても店の体裁《ていさい》や職人小僧の類《たぐい》
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