分あるものらしく、櫓《やぐら》の上から、目の下に見ゆる薩州邸の内を仔細に見ていました。そうして一人の丈《たけ》の高い方が、矢立《やたて》と紙を取り出しては見取図を作っていました。
お松はそこに人のあることは知らないで、一心に七兵衛の合図ばかりを待っていると、池の中へトボーンと礫《つぶて》の音。
その音を聞いて、お松は立ち上りました。戸を細目にあけると、闇の中ながら、今どこからともなく落ちて来た礫が、池の水を動かして波紋がゆらゆらと汀《みぎわ》の水草の根を揺《ゆす》っているのを見て、お松は胸を轟《とどろ》かしながら四辺《あたり》を見廻しました。続いて第二の礫の音。
この時、火の見櫓の上で見取図を作っていた丈の高い方が、
「今の音は?」
聞きとがめると、
「池の中で魚が跳《は》ねたのでござろう」
背の低い方が答える。
「魚の跳ねる音ではなかったようだ」
「と言うてこの夜中に――」
「ともかく、あの音は礫の音。ことによると、薩州の方で誰かここを認めた奴があるかも知れぬ」
「油断はなり申さぬ」
薩州邸内の見取図を作っていた二人の武士は、櫓《やぐら》の上から前後左右を警戒すると、背の
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