へ行ってお粥《かゆ》を食っています。貧窮組はこのくらい、無邪気といえば無邪気なものだけれど、合点のゆかないのは朱鞘《しゅざや》を横たえた小倉袴の覆面の大の男。表で無邪気な貧窮組を騒がしておいて、金目の物を引浚《ひっさら》って裏から消えてしまうというのは、武士にあるまじき行いであります。
 この勢いで貧窮組は江戸の市中へ蔓延《まんえん》して、ついには貧窮組へ入らなければ人間でないようになってしまいました。男ばかりではない、女も入らなければならないようになりました。職人は職人同士、芸人は芸人同士で貧窮組を作らなければならない義務が出来て、まんいち貧窮組に加入していないことが知れようものなら、人間の仲間を外されて非人の仲間へ組入れられなければならなくなりました。そうして貧窮組はついに江戸市中を風靡《ふうび》してしまったけれど、その不得要領なことはいつまでたっても不得要領で、お粥を食って歩くこと、せいぜい忠作の家を叩き壊すくらいのところであったが、解《げ》せぬのはその貧窮組が騒いで行ったあとで、必ず貧窮組らしくない仕業《しわざ》が二つ三つは必ず残されていることです。この手段は前の忠作の家を荒し
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